B誌掲載裏話U


BISES編集部 Yさんとの”Tea Time”

 2000年、5月の第3日曜日のことです。前日の雨に傷んだ花ガラ摘みや倒れた宿根草の手入れに朝から忙しく庭仕事をしていたら、突然、電話のベル。「あっ、いけない!次男のピアノのお稽古のお迎えの時間を忘れてた…。」てっきりピアノの先生からのお電話と思った私は、あわてて自転車を走らせました。次男をつれて帰ると、母から、先ほどの電話の主を知らされてびっくり。以前から雑誌の掲載に際してお電話などで連絡をいただいていたB誌のYさんが今日午後うちの庭に来てくださるとのこと!なんという光栄でしょう。

 B誌は庭造りを始めて以来、憧れの雑誌。遠い存在とばかり思っていたのに、その編集の方が来てくださるなんて、と、おりしも今年最高の状態にさしかかっていた庭のバラの手入れにさらに熱を上げて来訪までのひとときを費やしたのでした。準備万端整えて、Yさんをお待ちする間、妹やお向かいのKさんと満開のバラのもと、庭のテーブルでお茶とおしゃべりを楽しみます。昨日いらっしゃった遠来のお客様が、今日おみえであればと惜しまれます。

 やがて、いよいよ電話のベルが鳴って…。目印の近くの郵便局までお迎えに行くと、素敵な息子さんの運転で、洒落た白いシャツのYさんが本当にそこにいらっしゃいます。ご挨拶もそこそこに家まで案内しました。さて、それからは、庭話に花が咲いたことはいうまでもありません。YさんがB誌の編集者となられたいきさつ、それもご親友の遺志をついでのことであるとお聞きしてB誌への思いの深さを感じました。そして、なぜ、B誌がもとの出版者を離れたのかということについても、語ってくださいました。B誌は、”バラの園を夢見て”の特集に象徴されるように徹底してエコロジー、無農薬の路線を貫いてきた雑誌ですが、その同じ誌面に農薬を扱った広告が載ってしまってはなにもなりません、そういった出版者、広告主と袂を分かつためにあえて出版もとをかえられたのだとか。こういった確固としたポリシーを持って情報を発信しようとしている雑誌がこの日本にもあるということに大きな感銘を受けました。

 そして、話題は無農薬有機栽培にうつりました。私が、”バラの園を夢見て”の記事に出会って、そのころたまたま栽培し始めたバラ作りにますます熱中していったことや、無農薬で作るという点で考えが一致し、大きな影響を受けたことをまずお話しました。B誌なかんずくば、今日の私の庭はありえないと言うわけです。すると、憧れの梶みゆきさんと、とてもお親しいというYさんは、梶さんの今年の春の言葉として「土作りをしっかりとして丈夫な品種を選び、年月をかけてバラを丈夫に育てていけば、無農薬でも立派な花を咲かせることができます。」と語ってくださいました。私の実感ともぴったり一致して、なんとすばらしいことと、感激もひとしおでした。無農薬でのバラ作りにさらなる確信と勇気をいただいたような気がしました。
 
 夕暮れが迫る庭でバラのお酒や母が摘んでくれたハーブティーを楽しみながら、あっという間に時が過ぎて。帰りしなに我が家のヒマラヤユキノシタに興味を示されたのでお土産に一株お分けしました。Yさんご自身も自宅の素敵なお庭を営むすばらしいガーデナーでいらっしゃるのです。

 翌日から出張を控えたなかお忙しい時間をさいての訪問でしたので、はたして我が家のようにワイルドな庭に満足していただけたのかどうかとても心配していたところ、数日後に丁寧なファックスをいただきました。愉しんでいただけたようで、ほっと一安心。そして、そのファックスの文中に「これから、ガーデン、花の愉しみを人として必須の豊かさとして身につけてほしいと願っている母親、編集者として」という言葉がありました。なんという奥深い言葉でしょう。子どもたちにこそこの豊かさを伝えて行きたいと、強く心に感じました。

 こんな素敵な出会いを皆さんとわかちあいたく、また記念として、ここに小さなページを設けました。
(2000.6.11 yukiko記)

左がB誌編集部のYさん、右が私
Yさんが手にされているのは、バラの実のリキュールです
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